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東京都


えどじょう

天守台

太田道灌像(東京国際フォーラム内)
江戸城 (皇居) (東京都千代田区千代田)
天守:なし  日本100名城

戦国期の主な歴史

1457年 太田道灌、房総の千葉家の抑えとして築城する。
1486年 太田道灌が主君・(扇谷)上杉定正に暗殺される。
 同年 江戸城の乱。道灌の嫡男・資康が上杉定正に追放される。
1505年 太田資康、再び扇谷上杉家に仕え城主に復帰する。
1524年 資康の次男・資高が北条氏綱に通じて寝返り、後北条家の支配下に入る。
1590年 小田原征伐後、徳川家康が入城し、城下の整備が始まる。
1603年 徳川家康、江戸に幕府を開く。天下普請が始まる。

(メモ)
 言わずと知れた江戸幕府の政庁。現在は皇居となっているが、皇居外苑と北の丸公園は常時一般公開されている。
 現在の天守台は家康時代のものではない。家康の死後、二代将軍・秀忠は広大な御殿を築くために天守を現在とほぼ同じ位置に移築し、さらに三代将軍・家光は秀忠と同じ場所に新たな天守を築いた。家光の天守は、1657年の明暦の大火で焼失し、加賀前田家の普請によって現在の天守台が築かれたが、大火による城下の整備を優先し、以後、天守は築かれなかった。
 太田道灌時代の遺構といわれる「道灌壕」が皇居内にあるが、特別な日にしか一般公開されていない。
 東京国際フォーラム内にたつ大田道灌像は、江戸城(皇居)の方を向いている。
大手門 桜田門(重要文化財) 半蔵門
伏見櫓 平河門 百人番所